民宿営業終了のご挨拶

【民宿マル七 営業終了のお知らせ】
 当 民宿マル七は、昭和38年(1963年)7月6日に開業し、今年で51年目を迎えましたが、
私ども夫婦も高齢になり、お客様に十分なおもてなしが出来なくなったため、本日 4月30日を
もちまして、営業を終了させていただきました。
 開業以来、皆様方より多大なるご厚情とご愛顧を賜りましたことを、心より御礼申し上げま
す。
 民宿の営業は終了しましたが、私どもはいつも家におりますので、お気軽にお立ち寄り頂
き、近況などお話して頂ければ嬉しく思います。今後ともなお一層のご厚誼のほどを伏してお
願い申し上げます。

 民宿開業の経緯をお話しますと、私が弱冠34歳で、白馬村の村議会議員に出ておりました
際、42歳で村長となり、今日の白馬の礎を築いた 太田新助さんが、私に「お客さんはいくらで
も取ってくるから、学生村民宿の草分けをやってほしい」とお話を頂きました。当時 家業であっ
た養蚕経営も下火になってきて、ご近所には煙草の栽培を始めている家もありましたが、私は
太田村長さんを信じて、清水の舞台から飛び降りた気分で養蚕農家だった家を改造して「民宿
学生村」という事で、開業しました。
 開業当初は、一時は夏だけでも千数百名が来泊した年もありました。しかし予備校の急激な
増加と、夏季の冷房設備の充実に伴い、大学生の夏季合宿は数年のうちに無くなり、学生の
父母・兄弟・就職した会社の同僚と芋づる式に広がって、通年経営の宿となり、今日に至りまし
た。
 とは申せ、長野オリンピック以来、スキーブームが低迷してきて、またオリンピックで整備した
道路が、白馬村を首都圏からの日帰りエリアにしてしまったという、なんとも皮肉な現実と重な
り、お客さんの数は大きく減ってしまいました。そんな中にあって、我家がこんな古家ながらも
民宿を続けていけるのは、大正9年(1920年)に建てられ、今年で94年を迎えた、この大き
な家があったからこそと思っています。「家を建て替えるお金が無かった」という事もあります
が、この山の中になじんだ茅葺き屋根で囲炉裏のある宿をかたくなに守ってきたのが功を奏し
たといえるでしょう。
 我家に来て下さったお客様は、ほとんどと言っていいほど2度3度と訪れて下さり、中には40
年以上来て下さっている方もおられます。私たちにとってお客様は親戚や家族と同じ存在だと
思っております。お客様と交流させていただくことは、私にとって人生無上の幸福であり、生き
甲斐であります。今後も皆さまにお立ち寄り頂けることを楽しみにしております。また、息子に
は「ネットが普及した現代に手紙は時代遅れ」と笑われますが、自分の手で毎日趣味の手紙を
書き、皆様との文通を続けていきたいと思っております。今後とも親戚同様のお付き合いのほ
どを、心よりお願い申し上げます。

                    平成26年4月30日
                         伊 藤 馨


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