戦後67年

終戦の日 大糸タイムスの記事
終戦の日の15日、大糸タイムスの1面左側に私事が掲載されていました。タイトルは「戦後67
年目の夏 風化させまい戦争の記憶」というものでした。

記事の内容は次の通りです。
「今では戦死した父親の倍以上の年齢。22、23歳で一生を終えると思っていたが、結婚して
子供や孫にも恵まれた。」白馬村神城で民宿を営む伊藤馨さん(86歳)は、父、七右エ門さん
が残した、子供の成長を喜ぶ手紙を指でなぞりながら話した。在郷軍人だった七右エ門さん
は、「物は直角に置くものだ」「手紙をもらったらその日のうちに返事を書け」と、実直な人柄で
慕われた。日中戦争勃発後の昭和12年(1938年)8月に召集令状が届き、中国に出兵一年
余り後、39歳という若さで戦死した。伊藤さんは当時小学校6年生。妹とともに学校で訃報を
受けた。太平洋戦争開戦後は、国民皆兵の道をひた進む当時の日本で、父親と同じ道を歩も
うと軍人を志した。終戦間際の昭和20年(1945年)7月20日に徴兵され、現在の神奈川県
小田原市に配備された。「死ぬのは怖くない」と、勇んで戦場に飛び込んだものの、一面の焼
け野原を前にこれは勝てない」と痛感した。敵機に対する反撃もままならないまま、斥候(せっ
こう)に出た同じ部隊の若者が爆撃で死亡。43日間で終戦を迎え、戦争のみじめさばかりを痛
感して帰郷の途についた。海軍や特攻隊に入隊した同級生のなかには、遺骨も戻ってこない
戦死者がいる。大勢が犠牲となった戦争と戦没者の記憶を風化させまいと、日清戦争以降に
戦死した白馬村出身者215人を記録にまとめた「国の鎮め」(白馬村遺族会発行)の執筆を始
めた。平成7年の発刊までに家族への取材や写真、資料の収集に10年の歳月をかけた。
年々戦争体験を伝える人が減少する中「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない。記録が
少しでも役に立てば」と話した。


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