![]() 平成4年6月15日発行 昭文社"マップル信州" P16 白馬村に、ただ一軒残る 囲炉裏&茅葺きの民宿にふるさとを発見!!
囲炉裏から湧き立つ煙は"おじいちゃんち"のノスタルジア
"ふるさと"のイメージといえば、田畑を前にして建つ茅葺き屋根の農家。そして背後には雪を 抱いた山々……。そして囲炉裏から昇る煙が、風にのってほのかに漂う。そうした山村ならど こにでもあった"ふるさと"の風景が、今や、日本中から消えようとしている。昭和50年代、長 野、新潟、群馬など、茅葺き屋根が多いといわれる地方の村では、1年間に数軒というハイペ ースで、茅葺き屋根が消え去っていった。「トタン屋根なら維持が楽ですよ」という営業マンが 村々を回り、茅葺き屋根は、次第にトタンに覆われていった。 北アルプスの麓、白馬村も例外ではない。村に残る茅葺き屋根は、多めに見積もっても30 戸。ちなみに白馬村には2800世帯が住んでいるから、茅葺きの割合は、たった1%ということ になる。最も茅葺きが多く残るのが、白馬村でも南端の内山地区で、21戸のうち4戸が昔なが らの茅葺きである。「それでも、囲炉裏に火を入れているのはうちぐらいですよ。」というのは、 内山地区の民宿マル七のご主人、伊藤 馨さん。茅葺き屋根は、囲炉裏に年中火が入り、屋 根を燻していないと、すぐダメになる。つまり、内山地区でも、囲炉裏を使わない残りの3戸は、 近い将来トタンに変わるだろうことは容易に想像できる。 「白馬村の民宿で、昔からの茅葺きで囲炉裏があるのは、実はうちだけなんですよ。」と、伊藤 さん。どうして日本中から茅葺き屋根が急速に消えつつあるのか? 答えは簡単。材料も、屋 根を葺く職人も足りないからである。そもそも茅というのは、山に生えるスゲ、ススキ、チガヤの こと。これを束ねて屋根に積み重ねていったのが茅葺き屋根。「なんとか私の代までは茅葺き を守ろうと、数十回は手を入れているんですよ。」というほど、手間がかかる。伊藤さんの民宿 マル七は大正9年築の2階建て。屋根も広いから、もし一度に葺きかえるとしたら、3万5000 束という、気の遠くなる量の茅が必要となる。今や、茅葺き屋根は、日本の住宅建築のなかで 最も贅沢なものになったのだ。 ![]()
民宿マル七の外見は、上の写真のとおり。これでも充分に"ふるさと"を感じさせるが、玄関
奥にある囲炉裏端に腰を落ち着けると、なぜかホッとしたやすらぎを覚える。囲炉裏端は毎日 の生活に欠かせない重要な場所。一家団らんの場であるばかりでなく、来客の接待、炊事、夜 なべ仕事の場でもあったのだ。つまり、茅葺き屋根が"ふるさと"の原点であるなら、"ふるさと" の生活の中心は、囲炉裏ということになる。主人は、横座(よこざ)と呼ばれる入口に対面する 場所に座り、この場所だけは、主人しか座れないのがしきたりだった。民宿マル七では、今で も昔のままに、主人である伊藤さんが横座に座り、客と食事をする。宿泊客の誰もが"ふるさと のおじいちゃんち"に帰ってきたという錯覚に陥る瞬間だ。 ![]() 主人の伊藤さんは横座に座る
徹底分析!"おじいちゃんち"は、なぜ居心地がいいのか!?
民宿マル七の建物は、大正9年築の茅葺き屋根。茅葺きの2階建ては、白馬村でも珍しい
が、2階は養蚕用に使われてきた。道路事情が悪かった大正時代の白馬村のこと、建材はす べて周囲の木、しかも20haという伊藤家の自家山林から調達した。1階の座敷にしても、前座 敷10畳、奥座敷15畳というゆったりした構造。一見、急に見える階段も、他の農家に比べれ ばゆるやかな方だ。建物の周囲は、50俵程度を収穫する1.2haの田んぼ。そして、大根、トマ ト、キュウリ、ピーマン、野沢菜などを収穫する畑。米や野菜は、すべて自家栽培だ。食卓に登 場する新鮮な野菜。思わず滞在日数を延ばす家族連れが多いというのもうなずける。
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