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「グリーンL」昭和62年1月1日大糸タイムス社発行
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私の家には今も燃え続けている囲炉裏があります。この地域は夏でも朝晩は冷え込みます
ので、ほとんど一年中、火を絶やした事はありません。現在の家屋は大正9年に建てられたも のですが、この囲炉裏はその先代の家から移設したもので、既に200年以上もの間、多くの 人の体と心を暖め続けてきました。 この囲炉裏の一角に、丁度ゴムまりくらいの大きさの石が置いてあります。私が子供の頃か ら、あったので、いつから置かれていたものかわかりませんが、もう手垢がいっぱいついてい て、新しい石と並べてみるとその古さが良く分かります。そしてよくもまあこんなにまんまるな石 があったものだと思うほど、丸い石です。 私が幼い頃、年寄りに聞いたところによると、これは「囲炉裏の守り神」だというのです。私の 民宿に泊まられたお客さんも、十人中、八、九人は、「これは何ですか?」と聞いてきます。私 は最初の頃、とっさにうまく説明できずに困っていましたが、今では、「あの野口英世の家にも この石があったら、大やけどをしなくて済んだかもしれませんね。」とお話しています。 はっきりしたいわれは分かりませんが、囲炉裏の角に「守り神」が置いてあれば、「守り神」を またいで歩くような事は誰もしませんし、その石を見るたびに囲炉裏に落ちないように気をつけ ることでしょう。そんなことから派生したものであり、言い伝えだと思います。 つい20〜30年前までは、白馬村のどこの家にも囲炉裏があり、朝起きるとすぐに囲炉裏を 焚き付け、お湯をわかして、鍋をかけたものでした。食事をするのも囲炉裏をかこみ、近所の 人たちとの話も、お客さんを迎えるときも、いつも囲炉裏の火を囲んでいました。囲炉裏が生活 の中心だったのです。 長い年月のうちには、どこかの家で赤ん坊が囲炉裏に転んでやけどをしています。転んだひ ょうしに鍋をかぶって命を落としたという、なんとも痛ましい話も聞いています。囲炉裏の火は、 山村の文化を築き、重要な役割を担ってきましたが、反面、時としてこのようなやけどの原因と なる、非常に危険な火でもありました。そんな危険から、長い間多くの人を守ってきてくれたこ の石は、我家の宝です。 昭和62年1月1日発行「グリーンL」大糸タイムス社より 伊 藤 馨
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