民宿開業当初の思い出


開業当初の我家

  昭和38年の7月に民宿を開業し、早いもので今年で45年となりました。この間、この古く、
設備も行き届かない、散らかし放題の我家をご利用いただきました多くの皆様方に、心よりお
礼申し上げます。観光地白馬とは申せ、中心地からは10kmも離れ、観光地とはおよそかけ
離れた辺地に、足を運んで頂いた方々に、本当に感謝の気持ちで一杯です。
 民宿開業の経緯をお話しますと、私が弱冠34歳で、白馬村の村議会議員に出ておりました
際、42歳で村長となり、今日の白馬の礎を築いた 太田新助さん(52歳で現職急逝されまし
た)が、私に「お客さんはいくらでも取ってくるから、学生村民宿の草分けをやれ!」と急き立て
られました。私は太田村長さんを信じて、だいぶ大きな借金をして、急遽家を改造して「民宿学
生村」という事で、開業しました。
 開業当初は、一時は夏だけでも千数百名が来泊した年もありました。しかし予備校の急激な
増加と、夏季の冷房設備の充実に伴い、大学生の夏季合宿は数年のうちに無くなり、夏と冬と
が逆転して、学生の父母・兄弟・就職した会社の同僚と芋づる式に広がって、冬のスキー客が
主体となり、今日に至っております。
 とは申せ、ここ数年、長野オリンピック以来、観光スキーブームが低迷してきて、またオリンピ
ックで整備した道路が、白馬村を首都圏からの日帰りエリアにしてしまったという、なんとも皮
肉な現実と重なり、お客さんの数は大きく減ってしまいました。これは独り私共だけでなく、白馬
村全体でも、宿泊施設が百数十件も廃業に追い込まれ、都会からの脱サラでペンションブー
ムに沸いた地区も、何十件も売りに出ている状況です。
 白馬という名前だけでお客さんが来ていた時代は終わり、宿としても中身すなわち「うり」がな
ければ生き残れないのだと思います。そんな中にあって、我家がこんな古家ながらも民宿を続
けていけるのは、大正9年に建てられ、今年で88年を迎えた、この大きな家があったからこそ
と思っています。「家を建て替えるお金が無かった」という事もありますが、この山の中になじん
だ茅葺き屋根で囲炉裏のある宿をかたくなに守ってきたのが功を奏したといえるでしょう。
 私もあと何年民宿を続けていけるかわかりませんが、お客さんと接し、そして文通すること
は、私にとって人生無上の幸福であり、生き甲斐であります。この家が残り、私共の体の続く
限り、この民宿を続けていこうと思っております。今後とも変わらぬご愛顧のほどを、伏してお
願い申し上げます。

民宿 マル七 伊 藤 馨


トップへ
トップへ
戻る
戻る