投稿「結婚昨今」様変わりの式模様(2002.1.29 大糸タイムス2面)

 生きとし生けるもの、誰しもが大抵一度は経験する結婚であるが、この数十年あまりの変わ
りように驚いている。まずひと昔前は、全国津々浦々、見合い結婚というのがあたりまえだっ
た。現在のように好いて好かれて結ばれる、恋愛結婚でもしようものなら、それこそ村中の話
題となり、物笑いの種にされることもしばしばだった。
 結婚式もまた、あまりの変わりようだ。戦前はもとより大昔から、嫁婿が家に着くのは必ず暗
くなってからだった。嫁入りがあまりにも盛り上がって、夜が更け、真夜中十二時を過ぎるよう
な事があって、大安吉日ではないなどと騒ぎになったこともあったと聞いている。そして夜の明
けるまで、どんちゃん騒ぎが続いて、夜が明けてもなお雨戸を閉めて家の中を暗くして、酒盛り
を続けたというようなこともあったと聞かされた。
 結婚式とは、嫁婿当人を一番祝うべきなのに、お酒を一滴も飲まずに窮屈な支度をさせられ
て、ひな壇に座らされているお嫁さんは、たぶん一生で一番苦しい日になっていたであろう。こ
れが大古から続いている、封建的な、当地でも類を免れないしきたりだった。現代のお若い
方々には聞かせる事のできない恥ずかしい極みだ。そしてまたその後がいけない。嫁いできた
その家の家風に慣れるまでが、嫁いじめの連続だった。
 今どきはほとんど嫁姑は同居せず、別世帯にして、同じ家に住まないのが常だ。たとえ同居
するにしても2世帯住宅とかいって、別階段をつけて2階に住むとか、玄関も台所もすべて別に
してある家が多くある。まれに同居している場合、以前どこの家でもみられた嫁いじめとは逆に
なって、姑いじめがひどい例もある。あげくの果てに、余命いくばくもない姑が、自ら命を絶った
という話も聞いている。
 世の中の変わりようは恐ろしいものだ。この頃こんな話を聞いた。それもそんなに昔の事で
はない。昭和年代に入ってからだ。太平洋戦争の終戦前の昭和十年代のこと。お産は「汚れ」
とみなされていた。初子は実家に帰って親元で安心して産めるが、2番目からは婚家で産むの
が常だった。ひどい姑が、家の中が汚れてはいけないと言い、馬屋の隅で、稲わらのくずを敷
いて、その中でお産をしろと強いられたそうだ。涙が出て出て仕方が無く、一生死ぬまで忘れら
れないと嘆いたと聞いた。
 今は全く別世界だ。お産は女の大仕事だ。考えようによっては大変な苦痛だ。それを嫌がっ
てかどうかは知らないが、結婚しない女性があまりにも多い。また、結婚しても子供を生まない
女性も数知れない。子供を残さなければ国は滅びる。果たして、ここまで考えているのだろう
か。
 話は飛躍してきたが、ここでまた元の結婚式の話に戻る。今どき結婚式を家でやるといった
例は、全く聞いた事が無い。お葬式はまだまだ自宅でやる家もあるのだが。公営結婚というの
がはやりだしてきた頃、式場でやれば、どうしても人数を多く招くようになって、出費もかさむ。
それに式場までバスでいかなければならないから、その費用が余分にかかると非難された。し
かし、この式場での結婚が定着してから既に十数年、現在では夜通しかけてやる結婚式など
なくなった。式場で式を予行してみれば、両人のそれまでの交際関係がはっきりわかる。会場
や料理の準備をはじめとして、ほとんどのお膳立ては式場側でやってくれる。それだけ嫁婿や
家族の負担が軽くなったともいえる。
 今では出来ちゃった結婚というのがあるが、昔もそういた結婚がままあった。結婚は両性の
合意によってのみ成立するというが、昔はなかなかそうはいかなかった。完全な見合い、押し
つけ婚、政略婚などがあったが、そういった結婚は大概はうまくいかなかったように思う。とも
あれ、結婚は年齢ではない。よくよく先を見極め、長い年月がかかったとしても、是非とも両性
の合意によってのみ成立させたいものだ。


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